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更新日:
 2013年2月4日




















国名:タイ王国(The Kingdom of Thailand)
 正式名称は、「ราชอาณาจักรไทย」(Rātcha Anāchak Thai:ラート・アーナーチャック・タイ)で、「ราช」は「王」、「อาณาจักร」は「領土」、「ไทย」は「タイ」を意味しています。
 現地での通称は「เมืองไทย」(Muang Thai:ムアンタイ)です。
 公式の英語表記は、「The Kingdom of Thailand」で、略して「Thailand」です。日本語表記は、「タイ王国」、通称は「タイ」です。漢字で「泰(タイ)」と表記されることもあります。
 かつては諸外国から、「Siam(シャム、サイアム)」と呼ばれており、公式名称としても使われていました。しかし1949年5月11日、タイ人の民族名であり、タイ語で「自由」を意味する「Thai(タイ)」に改められました。この名称は、東南アジア諸国がオランダ、イギリス、フランス、アメリカ、日本などの植民地となるなか、タイが独立を保ったことを示しているそうです。

首都:バンコク(Bangkok)
 バンコクの正式名称は、“กรุงเทพมหานคร บวรรัตนโกสินทร์ มหินทรายุธยามหาดิลก ภพนพรัตน์ ราชธานีบุรีรมย์ อุดมราชนิเวศน์ มหาสถาน อมรพิมาน อวตารสถิต สักกะทัตติยวิษณุกรรมประสิทธิ์(クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット)”です。世界で一番長い都市名だそうです。
 1782年にチャオプラヤ・チャクリ将軍、後のラーマ一世(Rama 1)が、ここに遷都した際、新しい国に寄せる思いを詠った詩の全文が王都の名称になったそうです。意味は、“天使の都、偉大なる都城、帝釈天の不壊(ふえ)の宝玉(エメラルド)、帝釈天の戦争なき平和な、偉大にして最高の土地、九種の宝玉の如き、心楽しき王都、数々の大王宮に富み、神が権化して(国王のこと)住みたまう、帝釈天が建築天ヴィシュヌカルマをして作らせたまいし”ということだそうです。
 行政上は、“クルンテープ・マハーナコーン(Krungthep Mahanakhon)”と呼ばれ、一般的には「クルンテープ(Krungthep:天使の都)」が通称として使われています。タイの人々は、通常、クルンテープと呼んでいます。
 英語で呼ばれているバンコク(Bangkok)という呼び名は、Ayutthaya時代のポルトガル人の勘違いから広まったようです。
 アユタヤ王朝(Ayutthaya)時代(1351年~1767年)、都であるアユタヤとタイ湾を結ぶチャオプラヤ川のデルタ地帯(現在のバンコク)は交通の要衝でした。当時、この地には川を行き交う船の監視の為に砦が築かれ、ポルトガル人傭兵が駐屯していたそうです。
 彼らが、ここに住んでいた人々に、地名を尋ねたところ、当時は決まった名称がなかったため、仕方なく、「マコークの木が生い茂る水辺の集落(バーンマコーク:บางมะกอก)」と答えたところ、これを地名だと勘違いし、広まったという話です。“バーン”は、“水辺の集落”を意味し、“マコーク”は木の名前(外見がオリーブに似たウルシ科の樹木)だそうです。;
 この名が広まる過程で、「バーンマコーク(บางมะกอก)」が、「バーンコーク(บางกอก)」に転訛し、さらに変化してバンコクになったようです。

面積:514,000km2(日本の1.4倍)

地形:
 インドシナ半島中央部に位置する。メナム(チャオプラヤ)川が南北に貫流し、流域は広大な沖積平野を形成する。北部は山地といくつかの山間盆地、西部はミャンマーとの国境山脈、東部はコラートとよばれる低平な高原、南部はシャム湾とインド洋に面するマレー半島である。

◎人口:
 6,181万人(2001年)
 6,235万4402人(2002年7月)
 6,400万人(2003年、国家統計局、労働力調査年報)
 6,593万人(2010年、タイ国勢調査)

◎都市人口率:31.1%
 バンコク:572万人
 ナコンラーチャシマ:256万人
 チェンマイ:160万人
 ソンクラー:125万人
 コンケン:176人
 プーケット:26人

 バンコク周辺に750万6700人(1999年)

◎人口密度:
 121人/km2(2002年推計)

◎民族:タイ族80%、中国系(華僑)6%、マレー人4%、インド系、ベトナム系
 タイ族、中華系、マレー系の他に、モン・クメール系、ラオス系、インド系が暮らしています。山岳部には、それぞれの文化や言語を持った少数民族が暮らしています。

◎人口増加率:
 0.88%(2002年推計)

◎出生率:
 人口1,000人当たり12.6人(2001年推計)
 13.0%(2002年)

◎合計特殊出生率:1.7人(2002年)

◎死亡率:人口1,000人当たり5.9人(2001年推計)

◎平均寿命:
 全人口:69.18歳()(2002年推計)
 男性:71.1歳(2000年)
 女性:76.1歳(2000年)

◎言語:タイ語(公用語)、中国語、マレー語

◎識字率(15歳以上):
 全人口:95.5%(男性:97.1%、女性:93.9%)(2000年推計)

◎宗教:仏教95%、イスラム教3.8%、キリスト教0.5%、ヒンドゥー教
 タイ王国の憲法には信仰の自由が保障されており、国民の宗教の選択は自由だが、国王は仏教徒でなければならないと記されている。

◎貧困率
 14.2%(2000年)(貧困ライン:月収882バーツ未満/人)

◎独立:13世紀、スコータイ王朝成立

◎国連加盟:1946年12月16日

◎貧困率
 14.2%(2000年)
 (貧困ライン:月収882バーツ未満/人)

◎国旗
 この旗になる前は赤地にこの国のシンボルである白い象が画かれていたが、デザインが難しいため現在の旗になった。白は白象の代わりで、青は王室の色。

◎国歌
 タイの国歌を訳すと以下のような意味となります。

“タイ国はタイ民族の血肉から成り、民衆の国家である。タイ国民は、誠意を尽くし一致団結して全国土の安定を維持していく。タイ国は平和を愛するが、いざ戦いとなれば臆することはない。誰からも独立の自由を脅かされることはない。タイ国民は血の全ての滴を国に捧げよう。タイ国に勝利とさらなる栄光あれ。”

  ”ประเทศไทยรวมเลือดเนื้อชาติเชื้อไทย เป็นประชารัฐผไทของไทยทุกส่วน อยู่ดำรงคงไว้ได้ทั้งมวล ด้วยไทยล้วนหมายรักสามัคคี ไทยนี้รักสงบแต่ถึงรบไม่ขลาด เอกราชจะไม่ให้ใครข่มขี่ สละเลือดทุกหยาดเป็นชาติพลี เถลิงประเทศชาติไทยทวีมีชัย ชโย”

◎国花
 ゴールデンシャワー

◎政治体制(2013年2月)
 政体:立憲君主制
 議会:二院制、150名
    下院:500名(小選挙区:375名、比例区:125名)
    上院:150名(公選:77名、任命:73名)

 元首:プーミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ 9 世王)(1946年6月即位、在位64年)
    (King Bhumibol Adulyadej)

 政府:首相:インラック・シナワット(Ms. Yingluck Sinawatra)
    外相:スラポン・トーウィチャックチャイグン(Dr. Surapong Tovijakchaikul)

◎内政(2010年4月)
 タイでは1932年の立憲革命以降、軍部主導の政治が続いていたが、92年の軍と民主化勢力との衝突(5月事件)以降、軍部は政治関与を控え、民主的な政権交代手続が定着している。
 1997年に成立した憲法に従って、2001年1月に下院選挙が行われ、タイ愛国党の圧勝によりタクシン政権が成立した。2005年2月の下院選挙でもタイ愛国党は圧勝し、同党単独による第2期タクシン政権が成立した。
 しかしながら、2006年2月、首相批判の高まりを受け、タクシン首相は下院を解散。その後、同年4月、主要野党ボイコットのまま下院総選挙が行われたが、後に司法当局は選挙を違憲・無効と判じる等の混乱が生じた後、同年9月、陸軍を中心とする政変によりタクシン政権が倒れ、スラユット枢密院顧問官が首相に就任した。
 2007年8月、新憲法草案が国民投票で承認され、発効した。同年12月に行われた下院総選挙の結果、第1党となった国民の力党のサマック党首が 2008年1月29日、首相に就任。その後憲法改正を巡って反政府活動が活性化し、同年8月には民主化市民連合(PAD)により首相府が占拠されるに至った。こうした中、サマック首相はTV番組への出演が司法当局により違憲とされたことから、9月9日に首相職を失職した。これを受け、ソムチャイ副首相兼教育相が後継者として首班指名を受け、9月25日に新政権が発足した。

◎外交基本方針(2002年4月)
 タイは伝統的に柔軟な全方位外交を維持しつつ、ASEAN諸国との連携と日本、米国、中国といった主要国との協調を外交の基本方針としている。
 タクシン政権は近隣諸国との関係の強化、各国との自由貿易協定(Free Trade Agreement:FTA)締結を目指す活発な経済外交、アジア協力対話(Asia Cooperation Dialogue:ACD)の提唱等、地域において積極的なイニシアティブを打ち出している。

◎軍事力
・国防予算:
 19億ドル(786億バーツ)(2002年度)
 21.3億ドル(2006年度)
 1685億バーツ(2011年度)

・兵役:徴兵2年、予備役20万人(2002-003年、ミリタリーバランス)

・兵力:
 正規30万6千名(陸軍:19万名、海軍:6万8千名、空軍:4万8千名)(2002-003年、ミリタリーバランス)
 正規30万5860人(陸軍190,000人、海軍69,860人、空軍46,000人)(2011年度)

◎経済(単位:米ドル)
 2000年のGNPにおいて非農業部門の割合は約9割。うち工業部門は33.4%を占める。GNPに占める農業の地位は低下しているが就業人口の約4割を占める重要産業である。

・GDP:
 1,146億ドル(2001年)
 2,450億ドル(名目、2007年)
 3,457億ドル(名目、2011年)

・一人当たりGDP:
 1,818ドル(2001年)
 3,720ドル(2007年)
 5,394ドル(2011年)

・GNI:
 1,208億7,150万米ドル(2001年)

・一人当たりGNI:
 1,970米ドル(2001年)

・経済成長率:
 5.2%(2002年)
 4.8%(2007年)
 0.1%(2011年)

・物価上昇率:
 1.6%(2001年)
 2.3%(2007年)

・失業率:
 3.3%(2001年)
 1.4%(2007年)
 0.4%(2011年)

◎総貿易額
・輸出:
 653億ドル(2001年)
 1,512億ドル(2007年)
 2,191億ドル(2011年)

・輸入:
 618億ドル(2001年)
 1,392億ドル(2007年)
 2,021億ドル(2011年)

◎主要貿易品目(2001年)
・輸出:
 コンピューター・同部品、IC、自動車、衣料、冷凍エビ、宝石、コメ(2001年)
 コンピューター同部品、自動車・同部品、宝石・宝飾品、電子集積回路、天然ゴム(2010年)

・輸入:
 機械・同部品、電子機器・同部品、原油、化学製品、IC基盤、鉄鋼(2001年)
 原油、産業機械・同部品、電気機械・同部品、鉄・鉄鋼、集積回路基盤(2010年)

◎主要貿易相手国
・輸出:
 米国、日本、シンガポール、香港、中国、マレーシア(2000年)
 米国、日本、中国、シンガポール、香港(2007年)
 中国、日本、米国(2010年)

・輸入:
 日本、米国、中国、マレーシア、シンガポール、台湾(2000年)
 日本、中国、米国、マレーシア、UAE(2007年)
 日本、中国、マレーシア(2010年)

◎経済概況(2010年4月)
 タイは、1980年代後半から日本を始め外国投資を梃子に急速な経済発展を遂げたが、その一方で経常収支赤字が膨張し、不動産セクターを中心にバブル経済が現出した。その後、バブル破壊に伴い不良債権が増大し、経済の悪化を背景にバーツ切り下げの圧力が高まり、1997年7月、為替を変動相場制に移行するとバーツが大幅に下落し、経済危機が発生した。
 タイ政府は、IMF及び我が国を始めとする国際社会の支援を受け、不良債権処理など構造改革を含む経済再建に努力した。タイ政府の財政政策を含む景気対策、好調な輸出などにより低迷を続けていた経済は回復基調に転じた。
 2001年2月に発足したタクシン政権は、従来の輸出主導に加えて国内需要も経済の牽引力とすることを訴え、農村や中小企業の振興策を打ち出している。タクシン政権の内需拡大政策の奏功と見られる個人消費の活性化等により、最近は経済の回復傾向が見られ、2002年の経済成長率は、5.2%と経済危機後最も高い数字を記録した。その後も経済は回復し、2003年は6.9%、2004年は6.1%の成長を達成した。
 2005年はスマトラ沖大地震及びインド洋津波被害等により若干減速し、4.5%の成長となった。2006年は、政変の影響が危惧されたが、5.0%の成長率を達成した。
 2008年は非常事態宣言の発出(その後撤回)や長期化する内政の混乱により、観光産業を始めとする経済への影響を危惧する声がある。

◎産業(2002年4月)
 労働人口の50%以上が農業に従事し、メナム川流域では米(世界5位)、高原ではトウモロコシ、サトウキビ、半島ではゴム、タピオカなどが栽培されている。米の輸出量は世界1である。ほかに水産、養鶏、野菜栽培も盛んである。地下資源ではスズ、鉄鉱石、タングステンを産出する。工業は食品加工、繊維などの軽工業が中心であったが、70年代から日本やアメリカの企業が進出し、電機、電子産業など輸出産業が急成長し高度経済成長の段階に入った。しかし96年に輸出が不振となると、不良債権問題が表面化、海外からの投資がいっせいに引き上げられ、米ドルとの固定相場制も崩れた。この結果「国際通貨基金(IMF)」の支援を受けるにいたったが、金融引き締めなどの対策によりプラス成長に回復した。

◎在留邦人数
 40,198人(2007年10月)
 49,983人(2011年10月)

◎在日当該国人数
 39,618人(2006年12月31日現在:外国人登録者)
 42,750人(2012年11月5日発表:外国人登録者)

☆タイ生活情報

通貨 
 バーツ:Baht (THB)

・紙幣
 1,000、500、100、50、20、10バーツ(10バーツは硬貨が主流となりつつある)

・貨幣
 10、5、1バーツ
 50、25サタン(1バーツ=100サタン)

◎為替レート
 1ドル = 42.866バーツ(2003年4月1日)
 1ドル=約33バーツ(2008年7月)
 1ドル=約30.49バーツ(2011年平均)

◎両替(2010年9月)
 空港の他にも各所に両替所がありますが、日曜日や祝日は営業していないところも多いので注意が必要です。
 空港の両替所は24時間営業です。

◎時差(2010年9月)
 日本との時差は2時間。日本よりも2時間、遅れている。(-2時間)

◎ビザ(2010年9月)
 タイに入国する際、以下の条件に当てはまらない場合はビザが必要です。

1. 観光ビザ免除(日本は、これに該当します)
 以下の41カ国と1ヶ所の特別行政区域(香港SAR)の旅券所持者は、観光目的で、一回の訪問につき30日以内の滞在でタイに入国する場合、査証取得を必要としない。
 国境を接する近隣諸国の入国管理検問所から入国する場合、一回につき15日の滞在が許可される。ただし、毎回30日以内の滞在期間が認められるマレーシアから国境線を越えるマレーシア国籍者は除く。

2. 観光ビザ免除でタイに入国する外国人はタイ滞在期間中の十分な資金を所有すること。(すなわち、一人当たり現金10,000バーツ、一家族当たり現金20,000バーツ)
例えば、片道の航空券しか持っていない方、観光目的以外の方、観光目的でも30日以上滞在を希望される方はビザが必要です。

◎出国カード(2010年10月)
 タイに入国する際、2枚つづりの入国カードに記入して、パスポートと一緒に入国審査官に提出します。出国用カードは、入国審査官がパスポートにホッチキスで留めてくれ、出国審査時に、この2枚目を外して審査します。

◎税関(2010年9月)
 たばこ200本以内、葉巻・刻みたばこ 250g以下、アルコール類1?以下に関しては持ち込み税が免除されます。

◎空港税
 2007年2月1日から、700バーツの空港使用料は航空券発券時に徴収されるシステムとなっています。したがって、空港で空港使用料チケットを買う必要はありません。

◎航空会社(2010年9月)
 日本からタイに就航しているのは、日本航空(JL)、全日空(NH)、タイ国際航空(TG)、ユナイテッド航空(UA)、デルタ航空(NW/DL)など。

◎空港(2010年9月)
 バンコクの国際空港は、2006年9月28日(木)より、ドン・ムアン空港からスワンナプーム国際空港(Suvarnabhumi International Airport:ドン・ムアン空港から南東へ約30kmの位置)に移転しました。バンコク市内から、車で40~50分程度の距離です。
 スワンナプームとは「黄金の土地」の意味です。2006年で即位60年を迎えられたプミポン国王陛下が命名されました。
 AからGまでの7つのコンコースがあり、コンコースA、Bは国内線、CからGまでが国際線となっています。

◎電気(2010年9月)
 タイの電気は220V、50Hz。日本の電気器具はそのまま利用できないので、変圧器と変換プラグが必要になる。

◎クレジットカード(2010年9月)
 大手カード会社の国際カードは、主要なホテルやショッピングセンターで使用できます。裏面にサインがないものは使えません。
 バンコクではスーパーマーケットなどを含めて広い範囲でクレジットカードが使用できますが、他のクレジットカードが利用できても、JCBは利用できないところもあります。
 バンコクでチケット購入などの際にクレジットカードを利用する場合は3%の割増料金を払います。

◎チップ(2010年9月)
 全てではありませんが、チップを払う習慣がある場所があります。主にホテル、レストランやバー(屋台や食堂は除く)、マッサージやスパです。またタクシーでもおつりをチップ代わりに渡す場合もあります。基本的に気持ちのよいサービスを受けたときに渡すのがチップなので、決められた値段はありませんが相場が分かっていると便利です。
 ホテルで荷物を運んでくるベルボーイには20バーツ(約54円)、ベッドメイキングのスタッフにはベッドに20バーツ(約54円)置いて出かけます。
 マッサージやスパでは100バーツ(約270円)から200バーツ(約540円)を施術の後に渡します。レストランなら食事にかかった合計金額の10%くらいが相場です。

・チップ額の目安
 タクシー:乗車料金を5バーツ単位で切り上げて支払う。(例:57バーツ→60バーツ)
 ドアマン、ベルボーイ:荷物を運んでもらったり、ハイヤーを呼んでもらったりした場合に20バーツ程度。
 べッドメイキング:枕元に20バーツ程度。
 中級レストラン:支払い後、お釣りの硬貨または硬貨+20バーツ程度。
 高級レストラン〕:料理の代金にあらかじめサービス料が含まれていることがほとんど。その場合チップを払う必要はありませんが、プラスでチップを払う場合は100バーツ程度。
 マッサージ:50バーツ×時間が目安。
 スパ・エステ:担当セラピストに100バーツ程度。
 美容院:担当美容師に20~100バーツ。
 ゴルフ場:担当キャディに18ホールで200バーツ程度。同じ組で回った人達と金額を同じにするのがベターです。

◎税金:VAT Refund(2010年9月)
 タイでは日本の消費税と同様な「付加価値税(VAT)」があります。通常は内税(表示価格に含まれている)で、7%の税率です。
 指定されているデパート、お店で同一店舗(イセタンなら各階の買い物合計)、1日2,000B以上の買い物をして、タイ滞在中に5,000B以上の買い物をすれば、出国の際に還付が受けられます。

 還付の条件は、次の6つです。
1. タイ国籍者ではないこと。
2. タイ国に居住権(バイ・ターンダーゥ)を持っていない。または、年間180日以上滞在していない。
3. 国際空港から出国すること。(バンコク、チエンマイ、プーケットなど)
4. 国際便乗務員でない。
5. タイ国から持ち出しを許可されていないもの、またサービスについては還付の対象としない。
6. 商品を買った日から60日以内にタイ国から持ち出すこと。

 実際の手続きは、下記の通りです。
①“VAT REFUND FOR TORIST”の表示のある店舗、デパートの売り場で買い物をし、お金をレジ等で払う際、バスポートを提示し、VATの還付を受けたい旨を店員に申し出る。
②店員から「ポーポー10(P.P.10)」というVAT返還申請書類を作ってもらって、一緒にもらう書類と保管しておき、出国時空港の税関事務所でこれらの書類を見せて検印を受ける。
③特に高価な買い物の場合、空港でチェック・インをして、出発ラウンジに入ってからも税務局(Revenue Department)に同様に書類を提出して検印を受ける必要がある。
④これらの手続きが完了したら、出発ロビーのVAT返還オフィス(VAT REFOUND OFFICE)でVAT返還書類を提示して、返還金を受け取ります。ただし、返還金が3万バーツ以上になる場合は、クレジットカードの指定口座に振り込んでもらいます。この場合100Bの手数料と650Bの振り込み手数料が必要です。
⑤3万バーツ未満の場合は上記方法の他、現金か小切手で受け取れます。現金で受け取る場合は100Bの手数料、小切手で受け取る場合は手数料に加えて、250Bの経費が別途かかります。

◎電話(2005年11月)
 タイは、全て市外局番を含めて「0」で始まる9桁の番号でかけます。
 すなわち、バンコク市内同士の電話でも0-252-2222のように「0」から押さなければなりません。
 公衆電話は多種類あり、一見戸惑うが、大きく分けて硬貨式かカード式です。

◎車
 車は右ハンドル(左側通行)です。

◎国際電話(2010年9月)
 国番号:66

姓名 
 タイ人の姓名は名・姓の順に書きます。
 しかし、一般的には名を呼んで、姓を呼ばないのが習慣です。

◎気候(2010年9月)
 全体としては熱帯モンスーン気候で、半島部は熱帯雨林気候。
 暑季(3月~5月)、雨季(6月~10月)、 涼季(11月~2月)の季節がある。年間平均気温は、約28℃です。バンコクでは4月は平均30℃、 12月は平均25℃程度。

◎喫煙(2012年11月)
 タイでは2008年2月から本格的に喫煙に関する法的取締まりがスタートし、エアコン付きの飲食店やパブ、民間のオフィスが全面禁煙となりました。法律ができても各店舗が喫煙所を設置するための「猶予期間」として2009年1月までは取り締まりは実質行われていませんでしたが、今は罰金を課すなどと厳しくなってきています。
 禁煙区域で違反をして吸った場合、喫煙者は2,000バーツ(約5,400円)、お店側は20,000バーツ(約54,000円)の罰金が課せられてしまいます。タイはもともとマクドナルドなどのファストフードのレストランや、デパート内のレストランは禁煙という場所が多かったのですが、この法律ができてお酒を出すバーやクラブ、ディスコまで禁煙となりました。喫煙者は日本だけでもなくタイでもますます肩身が狭くなっているようです。

◎年号
 タイでは、仏暦を使っています。
 仏暦:西暦+543年(西暦2011年は、仏暦2554年)
 西暦:仏暦-543年

◎祝祭日(2010年9月)
 タイでは仏暦が一般的に使用されています。西暦2010年は、タイの仏暦で2553年に当たります。
 タイでは、土曜日や日曜日に祝祭日が重なると、月曜日が振替え休日となります。

 2010年の祝祭日は、下記です。

1月1日:新暦新年:New Year's Day

2月28日:マカブチャー節:万仏節:Makha Bucha Day(★)
 釈迦様の説教を聞きに1250名の使徒が集まったことを記念する仏教の祝日。2月の満月の日にあたるため、毎年、日付が変わります。

4月6日:チャックリー王朝記念日:Chakri Memorial Day
 1782年、現ラタナーコーシン王朝を築いたラマー一世の即位記念日。

4月13日~15日:ソンクラーン:タイ旧正月:Songkran Festival
 タイ暦の正月にあたり、タイ全土で「水かけ祭り」が行われます。中でも、チェンマイの水かけ祭りが有名です。国が定めた休日ですが、地域によっては約1週間、ソンクラーンが続くところもあります。

5月1日:メーデー:National Labour Day
 メーデーで、労働者がお休みを頂ける日です。タイでは国が定めた休日ではありませんが、通常、民間の一般企業はお休みとなります。

5月5日:戴冠記念日:国王即位記念日:ワンチャッモンコン:Coronation Day
 1950年に現ラーマ9世、プミポーン国王が戴冠式を行った日を祝う祝日です。ちなみに、即位は1946年6月9日でした。

5月13日:春耕節:農耕祭:Royal Ploughing Ceremony(★)
 バラモン教由来の作物占いの日です。官公庁はお休みではなりませんが、通常、一般の企業は休日となります。

5月28日 仏誕節:ヴィサーカブチャー:Visakha Bucha Day(★)
 お釈迦様が誕生し、悟りを開き、死んだ(生誕、大悟、入滅)とされる日で、5月の満月の日に祝います。3つの奇跡が重なったこの日は仏教上、最も尊い日とされています。

7月26日:三宝節:アーサーンハブチャー:Asalaha Bucha Day(★)
 お釈迦さまが悟りを開いてから7週間後(タイ陰暦8月の満月の日)、修行時代の友人5人に初めての説法を行い、その5人が僧侶になったことから、「仏、法、僧」の三宝が成立したとされ、その日を祝う祝日です。

7月27日:入安居:カオパンサー:Khao Phansa Day(★)
 雨季の間の3カ月、僧侶たちはお寺にこもって修行に励みます。カオパンサーはその初日です。この期間、僧侶たちはお寺からの外出は禁止となります。そのため、街中でお坊さんを見かけることが少なくなります。入安居の日は、タイ全土で禁酒となります。

8月12日:王妃誕生日:H. M. The Queen's Birthday
 1932年に現シリキット王妃が誕生されたことを祝う日です。タイでは、母の日にもなっています。

10月23日:チュラーロンコーン大王記念日:Chulalongkorn Day
 タイ国の近代化に多大な業績を残したラーマ5世、チュラロンコーン大王の逝去日を記念する祝日です。

12月5日:プミポン国王生誕記念日:H. M. The King's Birthday
 現プミポン国王(ラマ9世)の生誕を祝う祝日です。タイ全土の街中が、タイ国旗や国王の肖像画で飾られ、バンコクの王宮前広場では、様々式典が行われます。タイでは父の日にもなっています。プミポン国王は、今年で満83歳です。

12月10日:民主憲法記念日:ラッタタマヌーン:Constitution Day
 1932年ラーマ7世により、タイ国初の憲法が公布された日を祝う祝日です。

12月31日:大晦日:New Year's Eve
 家族と共に新年を迎えるために、多くのタイ人が故郷に帰ります。バンコク市内ではカウントダウンイベントが各所で行われ賑わいます。

 ★印の祝日は、毎年、日付が変わります。

◎略史
 以前はシャムと呼ばれていたが、1939年タイと改名しました。

 タイは歴史と伝統を有する古くからの独立国です。いわゆるタイ族は、中国西南部から南下し、王国の基礎は13世紀のスコータイ朝により築かれ、その後アユタヤ朝(14世紀~1767年)、トンブリー朝(1768年~1782年)を経て、現在のラタナコーシン朝(1782年~)に至ります。
 タイ族の国家形成は、13世紀前半にタイ人土候が、当時アンコール朝の支配下にあったスコータイを占拠し、その地を中心として独立王国を建設したことに始まるとされています。この時代には、スコータイの他に北部のパヤオ、チェンラーイ(後にチェンマイに遷都)、中部のロッブリー、スパンブリー、南部のナコンシータマラート等にタイ族の国家が相次いで興りました。スコータイ朝は第3代ラームカムヘン王の時代に支配地域を拡大し、1292年頃から元朝に入貢しました。ラームカムヘン王はクメール文字を改良してタイ文字を創作(1283年)、タイ民族独自の文化発展の基礎がつくられました。また、この時代にスリランカから南方上座部仏教(小乗仏教)が伝えられました。
 1351年ロッブリー、スパンブリーが統合されてチャオプラヤー川下流域を中心とするアユタヤ朝が成立しました。アユタヤは南部タイ、スコータイ王国を併合し、カンボジアに侵攻して1431年には王都アンコールを陥落させました。アユタヤ朝は勢力圏の拡大、行政機構の整備、諸外国との交易等によって16世紀後半には最盛期を迎え、アユタヤは東南アジア大陸部最大の商業・政治都市へと発展しました。
 一方、ヨーロッパの進出による交易の活発化から、アンダマン海側の良港をめぐってビルマとの
争いも激化し、1569年から15年間にわたり、アユタヤはビルマの属国となりました。しかし、独立を求めてナレースワン大王を中心とするアユタヤ軍がビルマ軍を倒し、1584年にアユタヤが独立を回復しました。
 17世紀に入り日本人、オランダ人などの外国商人が多数渡来して対外貿易はさらに活発化し、アユタヤに日本人町も形成された。しかし、18世紀中頃にビルマを統一したアラウンパヤー朝の度重なる攻撃により、1767年アユタヤは陥落し、400年以上にわたって続いたアユタヤ朝は滅亡しました。この時代、チェンマイのランナー王国は、16世紀後半からビルマの支配下に入っていました。
 アユタヤ滅亡後、アユタヤ朝の地方長官であった潮州系のタクシンは、1768年、チャオプラヤー川の河口付近のトンブリーを都としてトンブリー朝を開きました。軍事的天才とされたタクシン王は各地に遠征し、ビルマを駆逐し、瓦解した国内を再統一するとともに、チェンマイやマレー諸国、カンボジア、ラオス諸王国を征服しました。しかし1782年、タクシン王は旧アユタヤ朝貴族勢力のクーデターによって処刑され、トンブリー朝は一代、15年で滅亡しました。
 トンブリー朝の将軍であり、旧アユタヤ貴族勢力の中心的存在であったチャオプラヤー・チャクリー(ラーマ1世)は、国王に推挙されて即位し、都をトンブリーの対岸のバンコクに定め、ラタナコーシン朝を開きました。ラーマ1世(在位1782~1809年)は、宮中の諸制度を改めるなど、アユタヤ朝の再興を目指し、また対外的には対中貿易を推進させました。
 ラーマ4世、モンクット王(在位1851~68年)は西欧列強に対して門戸を開放し、イギリス、アメリカ、フランスと相次いで修好通商条約を締結しました。
 ラーマ5世チュラロンコーン王(在位1868~1910年)は、イギリス、フランスの両植民地主義勢力の圧力を受けながらも、ラオス、カンボジア、マレー諸国の割譲等巧みな外交政策によって植民地化の危機を回避、国内的には行政組織の近代化など国家の諸制度を整備してタイを近代国家へと脱皮させました。
 ラーマ6世時には、タイは第一次世界大戦に連合国として参戦、国際連盟への加盟、不平等条約の改正等国際的地位を向上させた。ラーマ7世プラチャーティポック王のときに立憲革命(1932年)が発生、専制君主制から立憲君主制に移行しました。ラーマ7世は1935年に退位し、ラーマ8世が即位しました。
 1938年に成立したピブン・ソンクラーム内閣は1941年に日タイ同盟条約を締結し、日本との同盟下でラオスとカンボジア、マレーの一部を回復しました。第二次大戦後半は抗日地下組織の運動が活発化し、日本の降伏後、摂政プリディーはタイの対英米宣戦布告はタイの自由意思によるものでなく無効としました。
 1946年にラーマ8世王が死亡し、プーミポン現国王が即位しました。立憲革命後、軍部と文官の間で、さらに軍内部、軍と警察との間で政権をめぐって幾多の抗争が続きましたが、1957年以降陸軍の主導的地位が確立された。サリット、タノムと続いた軍人政権時代は、経済社会開発計画によるめざましい経済発展とラオス、ベトナムに迫った共産主義の脅威が強権政治を支えました。
 1973年に民主化を求める学生・民衆と軍との衝突事件(「学生革命」)が起きた後、短命な文民内閣が続きましたが、1976年には軍事政権が復活しました。1980年代に入ると、プレム政権の下で軍と議会がバランスを保つ体制が8年5ヶ月続きました。
 1988年、12年ぶりの文民内閣として成立したチャチャイ政権の下、タイは急速な経済成長を遂げましたが、その一方で拡大した中間層は、利権誘導体質とされたチャチャイ政権への不満を高めてきました。これを背景に1991年、スチンダー将軍を中心とする無血クーデターが行われました。しかし、翌年スチンダー将軍が首相に就任すると民主化を求める民衆と軍とが衝突し(5月流血事件)、スチンダー首相は辞任し、それ以降、軍部の政治への影響力は低下していきました。
 その後、文民政権の交代が続き、2001年に発足したタクシン政権は、文民政権として初の4年の任期満了を果たしました。その一方、タクシン首相の政治手法、一族への利益誘導等を巡って反タクシン運動が徐々に高まり、2006年9月、ソンティ陸軍司令官(当時)を中心とする軍部による政変が発生し、タクシン政権は終焉を迎えました。
 2007年12月、スラユット政権下で下院議員選挙が行われ、タイ愛国党の流れを汲む国民の力党は、下院480議席中、233議席を獲得し、第一党となりました。2008年1月、サマック国民の力党党首が下院で首相に選出され、翌2月に同首相の下、新政権が発足しました。しかし、サマック首相退陣を求める反政府デモ(黄色シャツ)が拡大し、首相府がデモ隊によって長期にわたり占拠される中、同首相に対して憲法違反判決が出され、同じく国民の力党のソムチャイ副首相が2008年9月、首相に就任しました。
 その後も国民の力党政権に対するデモ集会が継続され、2008年11月末にデモ隊がバンコクの国際空港を占拠し、12月のASEAN関連首脳会議が延期されるに至り、社会・経済的に多大な影響を与えました。同年12月、国民の力党幹部の選挙違反に対して憲法裁判所が憲法違反を認め、国民の力党の解党・幹部の政治活動禁止の判断を下したため、ソムチャイ首相は失職し、アピシット民主党党首が首相に選出されました。
 その後は、タクシン支持派(赤シャツ)によるデモ集会が頻発し、2009年4月にパタヤで開催されていたASEAN関連首脳会議の会場にデモ隊が乱入しました。2010年2月に最高裁判所が、タクシン元首相の国内資産を没収する判決を出し、反独裁民主戦線(UDD:赤シャツ)が民主党政権への不満を高める中、3月中旬より国会の即時解散を求めてバンコク都内において大規模な反政府抗議集会を実施しました。2010年4月10日、デモ隊と治安部隊との間で衝突が発生し、邦人1名を含む25名が死亡しました。その後もデモ隊はバンコク中心部でのデモ集会を続行しましたが、5月19日に治安部隊がデモ隊への行動を開始し、赤シャツ幹部はデモ集会の終結を宣言しました。3月からのデモ隊と治安部隊との一連の衝突によって、日本人を含む約90名の死者が発生しました。
 2011年5月、アピシット首相は、2011年12月の任期満了を待たずに下院を解散し、2011年7月3日、総選挙を実施しました。選挙の結果、タクシン元首相支持派のタイ貢献党が500議席中、265議席を獲得し、議会内第1党となりました。アピシット首相は敗北宣言を行い、民主党は野に下りました。
 2011年8月10日、国会においてインラック・シナワット女史が、首班指名を受け、インラック政権が成立しました。同政権は、7月からの降雨によってもたらされた北部及び中央部を中心に発生した大規模洪水被害により、政権発足直後から非常事態に直面しましたが、現在、同政権は比較的安定的に運営されています。

1932年 クーデターによって立憲君主制が樹立された。
1938年 ピブンが首相になり、1939年に国名をシャムからタイに改称した。
1946年 プーミポン現国王が即位。
1948年 ピブンが首相に復帰。
1958年 サリットがクーデターによって政権を握る。
1963年 タノム政権が成立。
1971年 軍事クーデターによってタノム政権が全権を掌握。
1972年 日本品不買運動が起きる。
1973年 大規模な学生デモが発生し、タノム軍事政権が崩壊。
1976年 再び軍事クーデターが発生。
1977年 軍事政権が復活。
1988年 総選挙でタイ国民党のチャチャイ連立政権が成立した。
1991年2月 軍事クーデターが起きた。
2001年 タクシン政権が発足。
2006年9月 ソンティ陸軍司令官(当時)を中心とする軍部による政変が発生。
2007年12月 スラユット政権下で下院議員選挙が行われ、国民の力党が第一党となった。
2008年1月 サマック国民の力党党首が下院で首相に選出され、翌2月に新政権が発足。
      しかし、サマック首相退陣を求める反政府デモ(黄色シャツ)が拡大。
2008年9月 国民の力党のソムチャイ副首相が首相に就任しました。
2008年11月 デモ隊がバンコクの国際空港を占拠、12月のASEAN関連首脳会議が延期された。
2008年12月 国民の力党幹部の選挙違反に対して憲法裁判所が憲法違反を認め、国民の力党の解党・幹部の政治活動禁止の判断を下し、アピシット民主党党首が首相に選出された。
2010年2月 最高裁判所が、タクシン元首相の国内資産を没収する判決を出した。
2010年4月10日 デモ隊と治安部隊との間で衝突が発生し、邦人1名を含む25名が死亡した。
2010年5月19日 治安部隊がデモ隊への行動を開始し、赤シャツ幹部はデモ集会の終結を宣言。
2011年5月 アピシット首相は下院を解散し、7月3日に総選挙を実施した結果、タクシン元首相支持派のタイ貢献党が第1党となった。
2011年8月10日 インラック・シナワット首相が誕生、インラック政権が発足。




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